前回ベルリンの話で終わってしまい、ドレスデンのことは一切触れられなかったのですが、たまたま今朝BBCを見てたら何と、今日(2015年2月13日)はドレスデン大空襲から70年目とのことで、これはさっさと次のブログを書けという神の声やな、ということで珍しく短いインターバルでアップします。
一般的に他のドイツの諸都市と比べても、恐らくドレスデンは日本人にとってそれほどメジャーな都市ではないのではなかろうかと思うのですが、ご存知、ドレスデンは世界で最も美しい(美しかった?!)芸術の都の1つです(と今朝のBBCでも言うてました)。
その世界に誇る芸術の都であるドレスデンがちょうど70年前の今日、完全に焦土と化したわけです。今回の旅行に当たって、私の比にならないくらいドレスデンの街に思い入れのある父から「聖母教会」だけは行ってくれとのこと。かくして、ドレスデン観光のメインスポットは街の中心部に位置する「聖母教会」となったわけであります。因みに聖母教会(フラウエン教会)というのは固有名詞ではなく、聖母マリアに捧げられたドイツ各地(更に言えば、ヨーロッパ各地)に存在する教会を指すらしいのですが、とは言うものの、父曰く「聖母教会と言えばドレスデン、ドレスデンと言えば聖母教会なのだ」そうです。ホンマかいなと思って試しに「聖母教会」でググってみますと、果たしてドレスデンの聖母教会がトップバッターに出てくるのでありました(-_-;)。
さて、この聖母教会、実際に訪れてみますと、街の中心に位置するかなり大きな広場のど真ん中に威風堂々と鎮座しており、その存在感はハンパないわけです。この聖母教会、実は大空襲の終わった時点では、その傷ついた体をこらえるように、その偉容を保っていたのですが、空襲による火災で弱った壁と柱がその重さに耐えきれず、二日後に崩れ落ち、後には瓦礫の山が残ったそうです。で、その瓦礫の山はその後、1993年の再建起工式まで放置されていたそうで(東側諸国は経済的に苦しく文化面にまで回す余裕がなかったらしい)、その聖母教会が2005年に再建された際の完成式典には何と6万人もの人が詰め寄り、中にはその完成に涙を流す人もいるくらい、ドレスデン市民にとって教会再建は特別な思い入れのあることだったようです。再建はオリジナル設計に忠実に、かつできる限り元の資材(瓦礫の山)を使用して行われたわけですが、当然、完成した聖母教会は非常に新しく且つ美しい建物で、残念ながら(当たり前ですが)歴史的な古さはほとんど消え去り、今では「平和と和解への象徴」としての新たなシンボルとなっているようです。
ただ、このドレスデンという街、流石にヨーロッパの諸都市の中でも「美しい芸術の都」としての名声を確固たるものにしていただけあって、英米軍によるこの大空襲には色々な批判があるわけです。
その最たるものが、この爆撃はホンマに必要だったのか?というものです(かなりcontroversialです)。一つに、この空爆の時点で、既にドイツの敗戦は決定的であり、ドイツの戦後分割占領までヤルタ会談で既に取り決められていたわけです。加えて、ドレスデンには目立った軍事施設もなく、且つ、中心部が80%も破壊されたにも拘わらず、郊外の軍事施設は軽い損害しかなく、実際、中央駅は空爆三日後には機能を回復しているらしく、戦略的な観点から見ても、もはや何の意味もない空爆であることは明らかなわけです。にも関わらず、そのヤルタ会談での取り決めから数日後にこの爆撃は実行に移されたわけです。当時、もともとの市民に加えて大量の難民が東方からこの文化都市であるドレスデンを頼って流入していたため、人口過密状態となっていたドレスデンの街では大量の非戦闘員がこの空爆の犠牲になったそうです。
う~む。。。。。
もちろん、これには諸説色々とあるようですが、個人的には、ルーズベルトとチャーチルが、当時スターリンの手に落ちることが確定となった芸術の都を「奴に渡すぐらいなら破壊してしまえ」とバーボンとスコッチを飲みながら意見が一致したという「ドレスデンの落日と復活」を著した舩津さんのややブラックがかった説に妙に納得してしまうわけです。
まぁ、同じヨーロッパ文明を共有しているドイツの文化都市に対してすら、何のためらいもなく廃墟にしてしまえるわけですから、もし日本がソ連の手に渡ることになってたら、京都にも原爆落としよったんやろか??とか考えるのはゲスの勘繰りですかね…(-_-;)
そんな訳で、ドレスデンに訪れる前からドレスデン市民はこの空爆についてどう思うてるんやろか?という疑問はあったわけですが、流石に、ドレスデンでおじいちゃんに「どう思うてます?」なんて聞けるドイツ語力もなく、かと言って大学の友人にドレスデン出身のドイツ人もおらず、今日までそのままになってたわけです。
それが、何と今朝のBBCで、このドレスデン大空襲を取り上げてるではありませんか!?もう興味津々で朝飯食べるのもそっちのけで画面を見つめてたんですが、なかなか際どいテーマであるだけに、この大空襲を生き延びたおじいちゃんおばあちゃんのインタビューは放送されるんですが、内容は「大空襲の時どうやった?」という体験に絞ったインタビューであり「この空爆をどう思うか?」という点に関しては一切聞きよらんわけです。BBCめ…。
ま、唯一おもろかったのは、そのBBCのニュースの中で、この空襲の生き残りのおじいちゃんで英語が喋れる(恐らく)ドイツ人を1名スタジオに招いてのインタビューがあったんですが、このおじいちゃん最初から滅茶苦茶ふてぶてしく、まずキャスターの「Good morning」に対して、ノーリアクションなわけです。ちょっと変な感じの雰囲気が流れたものの、キャスターが質問に移ると、この質問に対して延々と訛りのある英語で答えはるわけです。で、驚くべきことに、このキャスターたち、その間、たったの一度もおじいちゃの話を中断せんわけです。これ、異例中の異例やと思うんですが!(BBC見てたら分かりますが、こっちの人たち、相手の話が長いと思ったら容赦なくバシバシ途中で話の腰折っていきよるわけです。)で、とりあえずとうとうと喋り終わったこのおじいちゃんに最後キャスターが「Thank you very much」と言った際も顎で「おう」みたいな感じで「Thank you」とは返しよらんわけです。最後までぎこちない空気がスタジオに流れていました。
あ、このじいちゃん、70年経った今でも許しとらんわけやな。。。