さて、今回のテーマですが、なかなか書きにくいテーマではあるのですよね・・・(-_-;)

該当の地域にお住いの方からすれば余計なお世話じゃ~という話ですし、何より感じ悪いですよね。。。

それは百も承知なのですがやっぱりこのテーマは避けて通れんやろ、と。何より、私自身が家族を連れて異国の地、ブリストルに留学することを決める際に真っ先に気になったのがこの治安面だからです。ネットでブリストルの治安について調べると、古い記事が出てくることもあり、その中には語学留学程度の英語力なのであればブリストルはやめておいた方がよい、とか、地元民は外部の人間が入ってくることはあまり快く思っていない、とか、反社会的な若者が結構たむろしていてあまり雰囲気がよくないとか、色々とヒトを不安にさせてくれる情報が出てくる時もあり、実際のところどうやねん??という不安がありましたので・・・。ということで私の知りうる限りの範囲で書きたいと思います。

結論から言うと、外国で生活する際の基本的なことさえ守れば特に危険な目に会うことはないのではなかろうか?と。

  1. 基本的には日が暮れたら出歩かない
  2. 人気のない夜道を一人で歩かない
  3. 女性は酒場の近くを避ける
  4. 周辺地域の情報を事前に仕入れておく

ぐらいでしょうか。

1・2は学校の初日のオリエンテーションなどでも注意を受けます。大学の西側に位置するCliftonという地域は富裕層の多い地域として有名ですが、ここでも夜間にレイプ事件があったりするので基本どこが絶対に安全ということはありません。夜間のしかも酔っぱらっての一人歩きは避けた方が良いかと。因みにブリストル大学でPre-sessional Courseを受ける校舎はこのCliftonにあるのですが、朝、登校中にパブの前の大きな通りに大量の血痕が残されているのを見つけ、昨夜派手にやったんやな・・・と。あと、通り一本隔てても雰囲気がガラッと変わる地域もあるので、自分の防衛本能を信じて雰囲気のよくない場所に入ったら極力早めに脱出するのは基本として、夜間は自分の通ったことのない道は極力避けるというのも一つだと思います(近道を通ろうと人気のない路地を、しかも深夜に歩くのはご法度です)。

3ですが、これは別に女性に限らずとも酒場の近辺を通る際は少しばかり緊張感が走るかもしれません。というのも、イギリス男性は昼間(素面の時)は非常にジェントルマンが多いのですが、お酒が入ると人が変わる人もいて(ま、これ、イギリス男性に限らず日本人でもそういう人いますよね・・・)、私は今のところブリストルで基本的に人種差別を受けた経験はほとんどないのですが、あえて言うと、私を中国人と間違えて絡んでくる輩は基本酔っ払いのみでした。まぁ、通りのど真ん中なので軽く流すわけですが、あれがもし店内とかで普通にこちらもお酒を飲んでたりする時に絡まれると厄介やなぁ・・・と思わずにはいられません。これは考えすぎかもしれませんが、行くならパブはやはり西欧人の友人と行った方が無難か、と。

あと、クラスの女子は夜10時ぐらいにPark Streetという大学のすぐ西側にあるパブが多い坂道を帰っている途中に酔っ払いに抱き付かれてフリーズしたとも言ってましたので、やはり酔っ払いには要注意でしょう。嫁は夕方の5時くらいでも基本的にパブでおっさんがビールを飲み始めるとその店の前を通ることを極力避けようとします・・・。

で、最後の4ですが、これがメインですね。ブリストルで治安があまり良くないとされている地域は他にもあるのでしょうが、ブリストル大学の通学圏内に限って言うとSt PaulsとMontpelierになると思います。この2つの地域は互いに隣接する地域なのですが、実際ブリストル大学のHPに掲載されているAccommodation関係のページにも上記2つの地域に関してはless safeという記述があったり、あと他の地域では掲載されているブリストル大学の学生からのコメントが一切掲載されてなかったりと、ま、あまり住む学生はおらんのだな、ということがわかります。上記2つは地域名なのですが、ブリストル大学のAccommodation関係のページにこの2地域と同じグループ内にStokes Croftという名前が出てきます。ここは地域ではなく通りの名前で、この通り一本を隔てて向こう側(東側)がSt PaulsやMontpelierになり、大学に近い側(西側)がCothamという地域になり、我が家が最初の短期物件として住ませてもらっていたのがこのCothamになります。ちなみに以前のブログでも書きましたが、この短期物件を見に行く初日に初めてこのStokes Croftを日曜の朝に家族で歩いたのですが、その時、中年のカップルが路上で倒れていたのがこのStokes Croftです。娘は当初その光景にショックを受け相当怯えていましたが、それ以降も時々人が倒れていたりするので、この短期物件の契約終了頃には見慣れた風景の一部になっていたようです(苦笑)。

このStokes Croftはよく言えば芸術の通りであり、見方を変えると落書きだらけの通りです。もちろん通りにはパブもあり、夕方から夜間にかけては酔っ払いがたくさん出現します。ただ10時くらいまでは車の往来もかなり激しい大通りなのですが、深夜になると通行する車の数が激減します。よってこの通りを深夜に一人でアジア人が歩くのは結構勇気がいるのではなかろうか?と。明け方も酔っ払いの若者が奇声を上げながら大声で通行している時があります。

ちなみに、このStokes Croftにつながる通りでJamaica Streetという通りがあります。ここには学生のアパートや学生寮(ブリストル大学管轄ではない)があるものの、昼間でもあまり人気がなく、にも関わらず、昼間でも酔っ払いの若者がたむろしていたり、1軒だけポツンと「マッサージクラブ」なる、いわゆるその手のお店があったりと雰囲気があまりよくありません。以前のCothamの短期物件に住んでいたころ、ハーバーサイドの方から帰ってくるときにはこのJamaica Streetを通る方が近道ではあったのですが、家族を連れている時はあえて遠回りをして帰ってきたりもしていました。中国人と間違われて絡まれたのもこの通りです。因みに前述の、酔っ払いに抱き付かれた女子がこのJamaica Streetの学生寮で暮していたのですが、彼女は寮の管理人から入寮初日にDon’t go right.(Stokes Croft方向)Go left.と念を押されたそうです(-_-;)

因みに、物件探しの終盤、本当に住む場所が見つからなくて困り果てていた時に、子供らの小学校を変えないという選択肢をとる場合、残された地域はこのSt PaulsかMontpelierになってしまい、その内覧一歩手前まで行ったことがあります。その際に、不動産屋の兄ちゃんに「この2つの地域は治安が悪いと聞いたが・・・」と聞くと、確かに5年くらい前は治安が悪かったが今はそんなことはない、と。さらっと返されました。そうなんや。。。と思いつつ別の不動産屋で同じ質問をするとそこの姉ちゃんは、「今でも絶対にこの地域だけは住まんという人もおるわな・・・」と微妙な返答。

実際のところ、我々もこの地域に足を踏み込んだのはSt Pauls Carnivalという年に1度のお祭りの時だけで(しかも昼間!)、その時は警察も大量に投入されていたため全く身の危険を感じることはなかったので、実際のところ普段のこの地域の様子はほとんどわからないわけです。因みに、以前の短期物件で暮らしていた大学の東側の地域は、大学管轄の学生寮がないため、西側と比べると圧倒的にアジア人(特に日中韓)の数が激減します。よって、我々が住んでいたCothamですら家族4人となるともちろんのこと、夫婦2人で歩いていても結構視線を感じることはありました。これが更に東側のSt PaulsやMontpelierになるとどうなのか・・・というところがまだ肌では感じていないのでわからないのですが、何となく想像できるような気も・・・(-_-;)

そんな折、あるお店でふと目にした1冊の本の表紙に「Bristol Riot」なる題名が・・・。

なんやこれ?と思い、手にして中を見てみるとその本は写真集で、ブリストルで暴動があった時の写真が何枚も掲載されていたのですが、その写真に目が釘付けに。

この火がボーボーに燃えてるところって・・・

はい、以前の短期物件の目の前の通り(Stokes Croftをそのまま突き進んでいくと、ある場所からCheltenham Roadに名前が変わるのですがその通り)でごみ箱がボーボーに燃えていて、Tescoが襲撃を食らいめちゃくちゃに荒らされている写真であったわけです(-_-;)そのTescoの左隣の自転車屋さんは私が自転車を購入したよく知っているお店です。

Stokes Croft Riot 1

Stokes Croft Riot 3

 

この暴動いつあったんや?と思って見てみると2011年・・・

あの不動産屋の兄ちゃん!!5年前とちゃうやん!!??

子供らも即座にその写真がどこかに気づいたらしく、普段よく買い物にいくTesccoの変わり果てた姿に、なんでこんなんなってんの!?とドン引き状態・・・(-_-;)このCheltenham RoadからStokes Croftにかけてかなり大規模な暴動が起こったようで普段いつも通る通りが全く別の様相を呈していたのに驚きを隠せませんでした。

日本人に比べると金曜日の夕方からビールを飲んだり何かと人生を楽しんでいそうな雰囲気の人が多いこのブリストルでこんなにも大勢の人がフラストレーションを抱えてるんやろか?と色々と興味は沸くわけですが、またそれは別の機会に。ま、そんな場所にブリストル到着後3か月ほど暮らしておりました。